研究など(インタビュー)

公衆衛生・微生物の専門家に訊く水まわりの生物と人の健康のかかわり

私たちは、社会的生活を営む限り他人はもちろん微生物とも無縁では生きていけません。人間とよい共存関係にあるものから深刻な感染症を引き起こすものまで、微生物の人間に対する影響もさまざまです。感染症について冷静に、なおかつ科学的な見地から「正しく恐れる」ために、公衆衛生学の研究者である伊与亨先生に、水まわりにおける生き物と人の健康との関わりについてお話をうかがいました。

伊与亨先生

北里大学医療衛生学部健康科学科講師、日本水処理生物学会編集委員、空気調和・衛生工学会編集委員、2007年環境省環境技術実証モデル事業「山岳トイレ技術分野」技術実証委員会 委員長、「実践 チーム医療論」、「水とごみの環境問題」などの著書を持ち、その他雑誌などに多数寄稿され、水処理や微生物に関する衛生的知見を広めることに尽力している。

*ご所属は掲載当時のものです。

Q1.身近な環境にいる、いわゆる病原体とはどのような生物か主なものを教えてください。

どこまでを身近と考えるかという点が難しいですが、感染症の病原体を大別し、一例ずつ紹介します。なお、一例とはあくまでも一例で、代表事例ではありません。

① 感染力のある異常な蛋白粒子

狂牛病や異型クロイツフェルト・ヤコブ病を引き起こす異常な蛋白粒子のプリオンが挙げられます。プリオンは健常な人間や動物にも認められ、なんらかの原因で感染型となります。牛肉では、感染型プリオンが存在する可能性のある脳や脊髄などを念のため除去します。

② ウイルス

ウイルスは細胞に寄生して増殖する、蛋白質と核酸からなる粒子です。例えば、冬になると流行するインフルエンザのウイルスは、人や野生のカモ、家禽、豚などに寄生します。

③ 細菌

土壌に生息し、酸素が存在すると生育できない偏性嫌気性細菌の破傷風菌が挙げられます。傷口から破傷風菌が入ると、その毒素が神経に作用して、けいれんや呼吸麻痺などを引き起こします。近年でも破傷風の致死率は約30%もあります。ちなみに、北里柴三郎は、この破傷風菌の嫌気性純培養を世界で初めて成功させました。

④ 原虫

塩素消毒に強い耐性をもつ原虫のクリプトスポリジウムが挙げられます。ウシ、ブタ、イヌ、ネコ、ネズミなどのほ乳類の腸管に寄生して増殖します。これらの動物の糞便に汚染された水を飲むことで激しい下痢を引き起こします。

⑤ 寄生虫

寄生性の多細胞生物としてアニサキスが挙げられます。アニサキスは、サバ、サケ、タラ、イワシ、スルメイカなどに存在しており、これらの魚介類を生で食べると、アニサキスが胃壁や腸壁に食いつき、激しい腹痛や嘔吐が生じます。

最近では、近年新たに出現した感染症である「新興感染症」として、SARS(重症性急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)、エボラ出血熱、AIDS(HIV感染症)などが、そして、以前から存在していた感染症が環境の変化で再興した「再興感染症」として、結核、デング熱、マラリアなどが問題となっています。

Q2.感染リスクの大きさはどのように考えるべきでしょうか?

日本で施行されている感染症法は、感染性微生物を、感染力や重篤性の観点から危険性が高い順に一類〜五類、新型インフルエンザ等感染症、指定感染症、新感染症に分類し、感染症の予防と蔓延防止を図るとともに、過剰な施策が無いよう人権にも配慮しています。


一~五類感染症の類型

参考文献
1)公衆衛生がみえる2020-2021
編集:医療情報科学研究所 発行:株式会社メディックメディア(2020年3月10日発行)

2)国立感染症研究所 感染症疫学センター 「日本の感染症サーベイランス」(2018年2月発行)

Q3.実際に病原体がいて、感染の心配をする必要があるのはどういったケースでしょうか?

そこかしこに病原体がいるものではありませんが、衛生上注意する場所としては、公共のトイレや乗り物が挙げられます。トイレには、他人由来の微生物がついた箇所が存在しますし、電車内のつり革や手すりも、他人の微生物や汚れがついています。
しかし、自分のスマホやデスクは自分由来の汚れや微生物が付いていますが、他人のものほど汚いとは感じないでしょう。人は、自分の微生物と共生していますが、自分とは違う、慣れていない微生物に触れるのは微生物的リスクが生じます。実は、トイレの後に手を洗うのは他人からもらった微生物を落とすという意味とともに、自分の微生物を他人につけないためにも行っています。公共の場所では、様々な人の微生物が付着しており、それを手で触ると手に移る、だから手洗いという概念は、感染の心配を払拭する基本的手段です。

Q4.主な感染経路について教えてください
感染経路とは、病原体が宿主である感染源から新たな宿主に浸入するまでの経路をいいます。ものを触ったら手を洗う・手指消毒という行為は、この感染経路を遮断する手法です。

① 接触感染

病原体が付着したもの・感染者などを手指で触って起きる感染経路です。冬期に流行る、風邪の原因ウイルスなどは、手指を通じて伝播します。性交を通じて感染する性感染症や、土壌と接触して感染する破傷風も、接触感染の事例です。

② 飛沫感染

冬期に流行するインフルエンザのように、病原体(ウイルス)が感染者の咳やくしゃみなどの飛沫によって伝播する感染経路です。

③ 空気感染

病原体を含んだ飛沫から水分が蒸発した飛沫核が空気中を漂って生じる感染経路です。結核や麻疹などの病原体は、空気感染します。

④ 媒介物感染

病原体を含んだ血液、水、糞便、食物によって生じる感染経路です。媒介物の種類ごとに、血液感染症、水系感染症、糞口感染症、食中毒などに分類されます。

⑤ その他

媒介動物感染のように蚊や昆虫などが媒介する感染経路や、母子感染のように胎盤、産道、母乳を介する感染経路が挙げられます。

Q5.温水洗浄トイレの環境にしぼると、吐水のなかに感染性の微生物はいるのでしょうか
温水洗浄便座は水道配管に直結して使用するものなので、吐水は水道水(上水)です。また水道配管に直結することが許されているということは、構造上、水道水に悪い影響をあたえないという基準を満たした設計がなされていることを意味します。

水道水には、人の健康保護の観点から定められた31項目と、味や色、臭気など生活に利用する上での観点から設定された20項目の基準をクリアすることが定められています。人の健康保護の観点による微生物の指標としては、「一般細菌」、「大腸菌」、「従属栄養細菌」が用いられています。
「一般細菌」…標準寒天培地を用いて36℃±1℃で24時間±2時間培養で生育する細菌。1mLあたりのコロニー数(一つの細菌から繁殖した、目に見える細菌の塊)で表す。水道水の水質基準では、一般細菌数は1mLあたり100コロニー以下。なお、食品衛生では48時間培養した結果を「生菌数」として表している。
「大腸菌」…人などの腸内に存在する細菌。水道水の水質基準では、大腸菌は不検出となっている。ただし、「大腸菌検出=病原微生物の存在」ではない。
「従属栄養細菌」…一般細菌より低栄養の培地を用いて、20℃で7日間培養したときのコロニーを形成する細菌の総称。給排水管内での生物膜量の指標となり、1mLあたり2,000コロニー以下を目標としている。

私たちは常に細菌との共生関係にありますし、微生物の存在が即、感染症で健康を害することにはならないと理解することは大事です。

これまで、大学内や大学病院内に設置されている温水洗浄便座の水質データをとり、研究を行ってきましたが、ノズルの吐水は、生菌数1mlあたりのコロニー数1以下で概ね水道水並み、または100以上ある入浴後の風呂水より少ない結果でした。温水洗浄便座のノズルは、糞便汚染の危険性の高い場所にありながら、自動洗浄機構などによって衛生状態を保っていると考えて良いでしょう。貯湯式の温水洗浄便座を何ヶ月も使用せずに放置し、最初に使った水というような場合でない限り、一般細菌数や従属栄養細菌数も水道水のそれらと比べ異常に高くはなりませんでした。

したがって、日常的に温水洗浄便座の取扱説明書どおりの手入れを行っていれば、健康を害するような衛生状態になることはないと考察しています。健康な人には影響はないが、免疫力が極端に低下した人に感染症を引き起こす「日和見感染」の可能性は考える必要はありますが、温水洗浄便座の吐水に含まれる微生物が、感染症の原因となることは、通常の使用状態ではまずないでしょう。繰り返しになりますが「環境中に微生物が存在すること=危険」ではないということは、あらためて理解してほしい概念です。

風呂水の調査結果は日本防菌防黴学会誌Vol.51,No.2,pp.67−70(2023)に掲載
要約はこちら(外部サイト)をご覧ください。

伊与先生のご研究をご紹介したサイトはこちらから
温水洗浄便座の吐水の微生物水準:生菌数、従属栄養細菌数に影響を与える要因、及び緑膿菌の挙動とその由来に関する調査研究

Q6.衛生的な日常生活を過ごすためのポイントとなることを教えてください。
日常の感染症対策では、感染が起こる条件(原因)をきちんと理解し、感染症パニックにならないよう、正しい知識で正しくおそれることが大切です。

感染が成立する3条件とは、
① 感染源
② 感染経路
③ 宿主の感受性 です。
このうちどれかが欠ければ感染は成立しません。感染症対策の基本です。

①の感染源対策では、病原体の存在場所、感染力(発症率・致死率・最少感染量など)を考えます。消毒で病原体の感染力を除くことや、殺菌で病原体自体を殺滅することは、感染源の対策事例です。


②の感染経路対策では、手指の洗浄・消毒を行います。この「感染経路の遮断」は、日常生活で簡単に実施でき、最も効果的な感染症予防手段です。「ものを触ったら手を洗う・消毒する」これにつきます。自分の手を「感染源」と考えた場合、感染源対策にもなります。飛沫感染では、感染源から2〜3m以上の距離をとることでも感染は防げます。なお、マスクは、感染者の咳やくしゃみなどの飛沫が飛散距離を少なくするために用います。感染していない人がマスクをする必要性は本来ありませんが、咳エチケットとなります。

③の宿主の感受性対策では、人の免疫力を考えます。免疫力は性別や年齢、人種などで異なります。免疫力の落ちている基礎疾患のある人や高齢者は、合併症を起こしやすいため特に注意が必要です。ワクチン接種は、人間集団として免疫力を向上させる感染症対策です。

日常生活では、感染が成立する3条件を理解したうえで、手洗いの励行・手指消毒、お風呂に入って身体の衛生を保つこと、清潔な服を着ること、調理器具の熱湯消毒、食品衛生に気をつけてバランスのよい食事と栄養素をとること、快眠・快便、休養、適度な運動を心がけること、清掃によって清潔を心がけることが、感染症予防の観点から重要です。また、笑うことも、免疫細胞の活性化につながるといわれています。このように、各個人が日常の「公衆衛生力」を向上させることが、健康で衛生的な日常生活を過ごすポイントとなります。